5/14/2013

皐月の助け

14.May.2013     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




木の葉のざわめき。
時折聞こえるキジの声。
新緑を駆け抜ける風は、
網目に詰まった埃が吹き飛ばされるような感覚だ。


もがいているつもりでも、
他人から見たらいつもと変わらないと思われるだろう。
何も進んでないと思われるだろう。


カッコ悪くても、
結果が駄目でも、
それでもマイペースで大丈夫と言い聞かせていくことが唯一の手段。
今日の風は弱くて倒れそうな自分に手を貸してくれているようだった。


僕の一番好きな風が吹く季節だ。



4/30/2013

前進

20.April.2013     Yokosuka.Kanagawa.Japan




仏教の教えには“七”という数字が重要らしい。
それには、こんな話が。

お釈迦様が亡くなり、三~四日後に弟子達が荼毘(だび)に付そうとしたが、薪にどうしても火がつかない。

ところが、遠方にいた最後の一人の弟子がお釈迦様にのもとに帰り、弟子が全員揃ったところで、ようやく火がつき、荼毘に付されたということだ。
それが七日目。
故に、この七を基準に考えて法要は行われることになる。

四十九日は故人が亡くなられてから七週間後。

それまでの期間を仏教では“中陰(ちゅういん)”または“中有(ちゅうう)”と呼び、生前の行いに対する査定期間であり、天国に歩いて行く途中なのだそう。
つまり、“生の世界”と“死の世界”の間を指す。
宗派により若干の違いはあるが、故人は中陰期間中どこでも自由に出歩くことができ、例えば家の中にいたりするという考え方もあるようだ。

そして、四十九日目に天国に到着するとされ、遺族は忌明けとなる。




自分というのは、弱いものだとつくづく感じる。

“時が止まったまま”という言葉は、自らと世の中が乖離してしまった状態を本当にうまく表してると思う。

僕は耐え難い衝撃が起こった時、目前のことが映画のように見える錯覚に陥った。

全てが演出に見え、デジャヴに思え、感情がすっ飛んでしまい、どういう反応をしたらいいか分からなかった。
「こんなシーンは映画で観たことあるじゃないか」
「みんな何で泣いてるんだ?」
「こういう時は泣くのがいいのか。でも、なかなか涙がでない」
その後はようやく実感が出てきたものの、体の周りの空気はねっとり重く、身内以外の人々との間には何とも言えない空間の歪みが今も存在し続けている。

でも、世の中はそんな自分にはお構いなしにどんどん動いていく。

いつまでも悲しみにくれるだけで済めば良いが、特別扱いされるわけもなく、このままでは自分も潰れてしまう。
だから、何かを拠り所にして区切りをつけてそれに耐え、日常に戻れるようにしていかなければならない。

拠り所とは、自分を納得させる論理にあたる。

思う節がいくつもあるが、それが何なのか分からない。
そこで、仏教のような信仰の教えであったり人から見聞きすることと、自分の思いを結びつけて一つずつ解決していく。
とてもつらい作業だ。

故人を弔う一連の儀式は、遺された者たちの心の整理をつけるきっかけを作る、という側面からも重要なものだと思う。

僕は“故人は中陰期間中どこでも自由に出歩くことができ、例えば家の中にいたりする”
という考えのもと、今までいつも自分の横に彼がいると思い続け、四十九日を迎えた。
この日を過ぎれば彼は家を離れ、天国の住人となる。
これで一段落。
でも、今はとても寂しい。

次に来るのは卒哭忌(そっこくき)。

百ヶ日ともいう。
“哭=泣く”のを“卒=終わる”日だ。




4/27/2013

輪廻

27.April.2013     my brother and me




もし、


生まれ変わるということがあるならば、



またあなたの弟として生まれたい。










3/24/2013

想い

21.Jan.2013     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




ある男の元に匿名で一人のファンから作品が届いた

男の生業は声


作品は男の声を動画作品にしたもの


男はとても喜んだ




後日、男は自分の弟に作品を自慢してみせた


だが、その作品は弟が作ったものだった


弟は恥ずかしくて言えなかった




砂が街の景色をかすめたある日


風は男の生命を持っていってしまった


華やかな世界の仕事に自惚れず、家族の為に生きた男の最期は一人だった


その夜、家族は一人ひとり自分の想いを男に話した


弟はあの日兄に伝えられなかったと泣き続けたという






3/19/2013

帰り道

19.Mar.2013     My home




サッカークラブの帰り道、
暗闇が怖い僕たちは、テレビアニメの主題歌を歌いながら家路を急ぐ

けれど、あんまり怖いから、いつも途中で歌詞を忘れてしまうんだ

そこで僕たちは歌を作った

街灯の光でできるふたりの影

歩くとその影が動いていく



まえかげ♪  まえかげ♪  まえかげ♪


うしろっかげ♪  うしろっかげ♪  うしろっかげ♪


あれっ!?


まえかげ♪  まえかげ♪ ・・・




家が近づくにつれて歩みは速くなり

坂を上った丘の上にある我家の明かりを見つけた途端、ふたりはいっせいに走り出す

そして、玄関のドアを開けたとき

僕たちはやっと安心するんだ

3/12/2013

ヒーロー

12.Mar.2013     In my room
           


         目を閉じると 彼は子供のようにはしゃいでいて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼はごはんをたくさん食べていて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は宙に浮かんでいて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は宙を見つめていて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は穏やかな顔で横たわり
         朝がきて   僕の目は開くのに     ヒーローの目は開かない 
           





1/08/2013

本質

3.Jan.2013    Tsuchiura.Ibaraki.Japan




正月に薪ストーブの為の薪を割りながら従兄(いとこ)と話す。

僕はチェーンソーで丸太を適当な長さに切り、従兄が斧で割る役のはずだった。
でも、以前に斧が壊れてしまい、探し回ったものの良いものは見つからなかったと従兄に話すと、室町時代までは楔(くさび)を使って木を割り、材木を作っていったと言う。


早速、壊れた斧を楔のようなものに作り直して使ってみると、なかなか調子がいい。

こんな方法があったんだなぁ。



普段当たり前だと思っていたものがなくなった時に、初めて気付いたり、そこから深く考え直すことになるのは誰にでもあること。
この時は法隆寺の修復などを手がけた宮大工、故・西岡常一氏の言葉をふと思い出す。

西岡氏によると、室町時代から建築が良くなくなってきたという。

そうだよな、そういうことだよな、、、


室町時代は発達した道具が広く普及した時代らしい。

その代表格が大鋸(おが)。名前の通り大きな鋸(のこぎり)だ。
二人がかりでどのような素性の木でも木を縦に切っていくことができるこの道具のおかげで、製材加工技術は飛躍的に発展した。
「大鋸屑(おがくず)」という言葉は、大鋸を挽いた時に出た木屑に由来する。
また、この道具のスケールの大きさから「おおがかり」という言葉も派生していくことになったようだ。

一方、それまで使われてきた楔は木を切るというより割っていく。

うまく割るには木の素性を知らなければならない。
西岡氏の言う室町時代から建築が良くなくなった原因はの一つは、道具による加工技術の発達と反比例して木の性質を見抜けなくても、形だけはできてしまうようになったからだという主張。

つまり、作り手は木の本質を見抜く力をなくしてしまったわけだ。
さらに、仕事を頼む側はもっと早く、安くと言う。

全くその通りだ。

けれど、今僕はこんな事を書いてるわけだから、この事実を当たり前だと知識や経験値として知ってはいても、木の本質どころの話ではない。
チェーンソーを振り回すとんでもない奴だということになる。

でも、別にチェーンソーを使うことや楔で木を割らないから100%悪いかと言えば、それもまたなかなか難しい気がする。

我ながら、知らない間に色んなものの本質を見失っていることが怖いと思う。

そうだよな、そういうことだよな。

色んなことが頭を巡る。

木は切るだけじゃなくて割るって方法もあるんだな。

形を作るってことは本質を見抜くってことがあるんだな。
モノを創るってのは数字をみるってことじゃないんだな。

今年の抱負どころか、永遠の抱負を正月から考えることができたんだから、いい年始めだ。