12/31/2012

2012考

     25.May.2012     Kasumigaura.Ibaraki.Japan




『月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり
 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は日々旅にして旅をすみかとす』

昔習った松尾芭蕉『奥の細道』の「漂泊の思ひ」が師走に入るあたりから繰り返し頭をよぎる。
今年は沢山の旅人達が目の前を通り過ぎていった。
揺れ動く自分は、通り過ぎる旅人達から沢山のことを学び、或いはただ通り過ぎてしまい、或いは掴んだと思ったら掴んでなかったり。

でも、この年が今後の自分に強烈に影響を与えることは間違いない。

12/21/2012

11.Dec.2012     Tokyo.Japan




それぞれの道がある。

世間で“独自性”とか“独特の世界観”とか言われる彼らの表現は、乖離している理想と現実の間で悩み、苦しんだ末の道ともいえる。

ライブハウスのパンクロックからアコースティックの世界に入っていったミュージシャン。
当たり前のように輸入されている海外アンティークの先駆的バイヤーはロンドンでエアキャップ(いわゆる梱包材の‘プチプチ’)を手に入れたいと、ただそれだけの為に目の前のトラックを追いかけた。
アーティストは、周囲からは一見うまくいったようにみえた作品を、表現にまで至らなかったと言う。

仕事は違うけど、この日の
宴には同じ匂いをもつ者たちが集まった。

まだ匂いを持たない自分はステージにすら上がれず、舞台の袖から羨望の眼差しで見ているだけ。
ぬかるみに、はまったかのように重たい自分の足は、なかなか前には進まない。
けれど、いつかチョイ役でもいいから同じステージに立ちたいと、自分の道を探すのだ。



12/14/2012

遠吠え

5.Dec.2012     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




僕は周りの人から馬鹿にされるような人間だけれど、選挙の投票権は持っているので数ある政党の話を聞いてみたり、一緒だと思っても投票してみたくなるわけです。
あまり政治とか経済とかはよく分からないけれど、日本の現状には僕なりに疑問を持つことがいっぱいあるので、こういう機会は自分の価値観を確かめるにはいい。

テレビのゴールデンタイムの生中継で各政党の代表がマニフェストについて主張する番組をみてみた。

各代表は国民に向かって少しでもアピールしようと時間を延ばしてでも話そうし、逆にニュースキャスターは「時間がない」と言い、次々にマニュアルに沿って質問をする。

けれど、「最後に、今回の選挙の目標議席数は?」なんて質問をしているのを聞くと、一体何なんだろうと思ってしまう。

今聞かなくても、既に色んな人がやってるじゃないか?
そんなことで貴重な10秒、15秒を使ってしまうならば、少しでも政策の話に時間を割いて欲しいなんて思うのは馬鹿な人間の考えることなんだろうか?

ついでにもっと馬鹿なことを言ってしまえば、「このタンポポの種を一度に出来るだけ沢山飛ばした政党が政権を獲ります」なんて選挙が出来たら平和だなぁなんて思う。

政治家のオジサン、オバサンたちが一生懸命タンポポの種を飛ばそうと必死になっていて、それを国民が「がんばれー!」なんて応援してる姿を想像するだけで微笑ましい。




11/30/2012

fake_myself

23.Nov.2012     Sumida.Tokyo.Japan




日本に帰ってきてから、身の回りに魅力あるものが少ないと以前にも増して感じる。

何かが抜けている。

何かを忘れている。

そんな時、墨田区の町工場を見学して回る機会があった。

小さな空間に凝縮されたモノとしての厚み、そして厳しい環境の中で養われたヒトとしての厚みは、職人の血をひく自分にはとても魅力的だ。

日本には良いモノが沢山ある。


ただ自分が見えてないだけだ。

どこに行っても偽モノはある。

そんな事言いながら、また自分はカッコつけ始めてないか?
自分自身に偽りがないか?


モノと真正面に向き合う人達を見ると、僕もそんな人達と仕事をさせてもらえるようになりたいと思う。


11/22/2012

脳裏

19.Nov.2012     Bangkok.Thailand




帰国した日の夕方、雨が降った。

バンコクの喧騒の中で聞いていた、人工物に落ちる雨音から、日本の田舎の木の葉に落ちる雨音に変わる。

以前、次に日本で雨を見る時どう思うだろうかと考えてたけど、雨音や乾燥して冷たい空気はタイとは全く違う。
ただ、それ以外は何だかぼんやりしてしまってよく分からなかった。

帰国後、会う人会う人に「行く前と全然違って誰だか分からない」とか「日本人に見えない」とか言われる。
多少日に焼けた程度では大して変わらないと思うんだけど。
でも、考えてみればバンコクに滞在してた後半は、街中を歩いているとタイ人にタイ語で話しかけられるようになってた。

少なくとも日本人ぽく見えなくなってたのかもしれない。
とにかく、雰囲気が変わったんだろう。

今現在でも、頭の中で何か形のないモノがある。

それが何なのか、全く分からない。
でも、とても大事なものだという気がする。





11/10/2012

雨水

10.Nov.2012     Bangkok.Thailand




覚悟が決まると頭の熱が急に下がってくる。

今、こうして吸ってる空気も、音も匂いも全てが明日には過去のものになり、思い出になり、その記憶はどうやっても薄れていく。

だから、自然と未来のことに目を向けるようになったようだ。

この場所で経験したことは、この国の人や長く住んでる人達にしてみたら、掌に落ちた雨水くらいのものかも知れない。

でも、この雨水はどこでも手に入るものではないし、今しか得られないもの。
これをどう生かすかは自分次第。
現時点ではどうすればいいのか全く分からない。
しばらく時間が必要みたいだ。

僕は精一杯この国で過ごしたと思っている。

写真の交差点は、僕がいた部屋から見えていたもの。
どこに行くにもここを通っていった。

今、僕はまたこの交差点の真ん中に立ってどの道に行くのか考え始めている。

沢山の思い出と沢山の宿題を持って。

11/07/2012

刻々と

28.Oct.2012     Bangkok.Thailand




「The last day」が近づいてくる。

目を閉じている時間が惜しい。

目を開いている時間も惜しい。

だから、何かを残そうと思って歩き回って闇雲にシャッターをきってみたり。


最初から毎日が「The last day」なのに。


11/06/2012

Originally

3.Nov.2012     Lan island.Thailand




遠くから見るとこんなにきれいなのに。
昔はこうじゃなかったのに。
でも、いつを基準として?

自分は矛盾だらけの生活をしていると思うことがある。

10/31/2012

願い

24.Oct.1012     Bangkok.Thailand




2012年10月24日。
バンコクではヒンドゥー教のお祭りがあった日。
いつもよりさらに幸せな時間を過ごした。


最初はヒンドゥー教のことを書こうと思って調べてみたけれど、僕にはとても複雑で出来そうもない。

背伸びはしないほうがいい。
だから、わずかな時間だけどヒンドゥー教の人たちに触れ合って考えたことを少し書こう。

一体僕は彼らの何を知っているんだろう?

神の形。信者の数。歴史、、、
予備知識は大事なのに、彼らと過ごした時間はすっかり忘れてしまった。
見知らぬ外国人を招き入れてくれるやさしさ、明るさ。
お祭りだから特別だったのかもしれない。
それでも、彼らの一部に触れたことで、自分の先入観は吹っ飛んでしまった。

自分達の祝い事を分かち合いたいという気持ちなんだろうか?

それとも、たまたま僕を見かけたから?
理由は何でもいい。
とまどいながらも祈り方を教わり、ぎこちない動作で線香をあげる。
それだけで彼らは喜んだ。
そして輪の中に入り、たわいのない話をし、踊り、祈りを捧げる。

願いは僕にも沢山ある。

仕事のこと、家族のこと、自分のこと、、、
そして、僕には新しく一つの願いができた。

どうか、この国や旅先で出会った人達といつまでも繋がらせていてくださいと。

10/28/2012

Ayutthaya

7.Oct.2012     Ayutthaya.Thailand     




少し前になってしまうけれど、アユタヤを12年ぶりに訪れた。
去年の洪水の跡が家の壁に残り、その被害の大きさを思わせる。

アユタヤの遺跡も12年の間にひどく老朽化が進んだように思える。

洪水のせいだけなのかどうかは分からない。
遺跡は修復の真っ最中だ。


それを見てふと思う。
形だけ整えれればいいのだろうかと。


偉そうなことを言ってしまったけれど、これは自分への戒め。

モノを作る仕事に関わることはどういうことなのか?
何が大事なのか?

なぜ作るのか?

自分にはとても壮大すぎてカッコいい答えは出てこない。

でも、僕はモノを作ることしか出来ないから、答えなんて出てこなくてもそれを考え続ける人間でありたい。









10/27/2012

移ろい

25.Sep.2012     Bangkok suburbs.Thailand




バンコクでは雨季が終わり、乾季が訪れる。

僕は来年の今頃にはもうここにはいない。

次に日本で雨を見るとき、何を思うんだろうか?



10/21/2012

Laos_02

14.Oct.2012     Vientian suburbs.Laos





コミュニケーションって一体なんだろうと思う。
自分は特にそれがうまいわけではない。語学が堪能なわけでもない。

だから、今は日本にいるときより何とか自分の気持ちを伝えたり、相手のことを知ろうという気持ちを大切にしたいと特に思う。


ラオスで利用したタクシー運転手の青年。
英語は全くといっていいほど出来ないから、モロに日本語とラオス語とジェスチャーで会話した。
それでも、僕と彼は周りの人がすごく仲良しに見えると言われたくらい一日一緒に楽しく過ごした。
たった一日しか泊まらなかったホテルの人たちとも楽しく話せた。
僕の場合は難しい話が出来ないから話の内容は簡単だけど、それだけに自分の一番大事な純粋な気持ちで会話している気がする。

行き先の場所を聞いただけの人、手を振っただけ、微笑んだだけの人達との一瞬の時間ですらとても愛おしい。

なんだか分からないけど、自分がシンプルになっていく。

10/20/2012

Laos_01

13.Oct.2012     Vientiane,Laos




大都会バンコクから東南アジアで唯一海を持たない国、ラオスのビエンチャンへ。

賑やかな中心地から少し外れてあるこの寺院にたどり着いた時、静寂の中に虫の声とわずかに寺院内から聞こえてくるお経の声。
そこは別に秘境の地でもなんでもない。

けれど、都会の喧騒から逃れてきた自分にとって、何とも言えない神聖な空気に包まれたこの時間は鳥肌が立つほど身に染みた。

10/09/2012

最新

3.Oct.2012     Bangkok.Thailand




日本にいても流行とかには全く疎いのだけれど、タイになればまったく知らなかった。

しかし、どうやら大きな流れとしてタイと日本の最新事情はパッと見では変わらないと思う。むしろ建物など、最新のものは全体的に日本よりずっとカッコいい。法律や地震の関係があるので、デザインの制約が大きいということを差し引いても。ここ数年開通したBTSと呼ばれる電車にしても、駅や電車の広告はにクールだ。

色んなものの仕上がりは日本ほど緻密ではないけれど、勢いのあるデザインは圧倒的にすごい。日本は先進国だと言われているけれど、ここだけ見たら「ホントですか?」と言いたくなる。

そんなことを思っていたけれど、もちろん日本の面白さを改めて感じることもある。

バンコクの多くの服装は日本人が着ているものとそれほど変わらず。ただ、日本のファッションはかなり多岐に渡り、独自の発達があるという印象だ。いわゆる古着だったり、○○ガールだの、何とかだの何とかだの何とかだの、、、とにかく色んなジャンルがある。

バンコクには多くの外国人がいるにも関わらず、それほど多様な感じは今のところしていない。ニューヨークやロンドンにもいったけれど、日本ほどではなかった。

よく言われていることだけど、自分の目で確かめて改めてそれは思う。





10/01/2012

視野

21.Sep.2012     Bangkok.Thailand

僕が持っている知識は不勉強な為に少ない。
タイ在住者だけでなく、それ以外の国での生活が長い人達と話すと如何に自分が不勉強で視野が狭いかということが嫌というほど分かる。
色んな国の人達がいるから、考え方は十人十色。
そのような状況で長く過ごしている人達は、少なくともアジアの中で日本をどう捉えるかということを考えざるを得ないことに必ず直面してきている。

知識を得たり視野を広げるのに手遅れなんてないはず。なければ今から覚えればいい。
ただ、毎日あまり色んな情報があるので、自分でもまだ捌ききれない。
深く考えるところまではとてもいかない。
例え帰国してもしばらくは分からないんじゃないかと思う。

タイは中国系の人が非常に多い。
加えて現在タイに来る旅行者はアジアの中では中国人、韓国人は上位に位置する。
一連の報道を聞いてから、行く場所によってはちょっと気を付けないといけないのかなぁ、なんて思っていた。

そんなことが頭によぎったので、職場で祖父が中国から来たというタイ人スタッフにこの話をしたら、「全然関係ないです♪」との返事。
隣の会社の人は「韓国人がいるけど超フレンドリーなんですけど♪」だそう。

中国系だからって生まれはタイだし、この問題に対する教育を受けてないから、あくまで国外の話と捉えているのか?「それはそれ。これはこれ」なのか?
統計を取ったわけでもないので、全体の一部と考えておく。
確かに自分だったら母国と隣国の情勢を個人レベルまでいちいち持ち込んで態度を変えるなんておかしい。

ただ、このような時期に日本をどう捉えるかということについて海外に身を置きながら考え直すことは、すごく良い経験になるはずだ。





9/30/2012

Thailand




2006.Sep.22     Hua him.Thailand                              




タイへ仕事で来て2週間が経つ。
実はタイを訪れるのは3回目。過去2回は旅行者として。
今回は曲がりなりにも首都バンコクに住み、仕事を持ち、この国で生活することになった。
さすがに何かの縁がある土地なのかなと思う。

なんとなくタイのイメージは持っているものの、改めて自分がいる国の地図を眺めてみる。

とにかく水が豊富だ。それこそ網目のように川が流れている。僕がいるバンコクには、チャオプラヤー川という大きな川が流れていて、「蛇行」という言葉がピッタリとあてはまる。
去年の洪水が記憶に新しいけど、これだけ蛇行していたら増水すれば水があふれやすい形状であることは分かる。日本の都市の川を地図で見ると治水工事が行われているため、川のうねりは緩やかになり、洪水は少ない。

こういう現状をただの「発展途上国だから」と片付けるのは簡単。でも、逆をいえば「自然の川の形が残っている国」ということになる。

何が言いたいのか。
僕はこの国を「日本にないものをたくさん持っている国」「日本がかつて持っていたものたくさんを持っている国」だと思っている。便利だとか経済活動が盛んだとかというバロメーターではなかなか出てこないけど。
じゃあ、○○年前の日本かと言えばそうじゃない。現在の日本より進んでいるものだってある。

どんな所でも、どんな場所でも、今の自分の身にならないことはない。

「不便だ」とか「日本と違う」ことを楽しみたい。そう思うだけで、毎日目を開けているだけで面白くて仕方がない。電信柱やゴミ箱ひとつとっても僕にとってはテキストであり、遊び道具だ。
だから、例え砂漠で生活することになっても僕は毎日楽しい。

きっかけは仕事で来たけれど、少しでもいいからこの国の良いところを日本に取り入れられたらと思う。

この国を通して日本を見てみたい。












9/29/2012

ROOTS

6.Sep.2012     Ami.Ibaraki.Japan




「自分はこうだ」という信念を持ってやってきたつもりだった。

そのくせ、元来カッコつけなので体裁を気にして保険をかけようとしてきた。
だから、うまくいかない。
もう後がないという状態になって、ようやく自分をさらけ出す勇気と行動力が少しついてきたようだ。今は片足に軸足をおいて次の一歩を探し、何かを見ては考え込んだり、試して失敗してみたりしながらどうやって社会との接点を見出せばよいかを考える日々。

『ROOTS』というのは、自分が生まれた1977年に大ヒットした映画からとったもの。アフリカから奴隷としてつれてこられた黒人少年クンタ・キンテ一族の軌跡を描いた映画。ホントかウソか知らないけれど、僕の名前はこの少年に由来すると記憶している。

このブログも見たことや聞いたことから素直な気持ちを文章にして、自分の生き方を探した記録になればと思う。